90年代のデフレ

90年代後半、国がPKO派遣によって株価が高騰し、国民は再び安心してしまいました。しかし、その後に起こったデフレスパイラルは歴史に名を残すようなデフレでした。それに日本人がようやく気づくのはアジア経済の破たんが開始して以降です。日本はバブル景気をアジアへ輸出していました。日本国内に投資できないお金をアジアへつぎ込んでいたのです。

そのアジア経済が破たんしてしまったのだからただ事ではありません。まず1997年、タイの経済に異変が起きました。このときアメリカのヘッジファンドなどの金融のプロはいち早く異変に気づき、タイから逃避しています。このタイをきっかけとして連鎖的に東南アジア各国の経済が次々に破たんして、韓国、台湾も経済危機に貧し、最後にはロシアにまで飛び火したのです。

この経済危機のピークが1997年です。それ以降、1997の初頭まで日本もその影響を受け一気にデフレの勢いが加速し、当然の帰結として日本経済も急激に冷え込んでいったのです。このときに山一證券も拓銀も破たんしています。1998年以降、銀行の貸し渋りへの対抗策として保証協会がほとんど無審査でお金を貸し出しているため(その枠は当初の20兆円にさらに10兆円追加して30兆円になった)、この時点では中小企業は何とか持ちこたえていました。